紅参(こうじん)って何?高麗人参は加工方法によって呼び名が変わる

高麗人参の加工法3つ

高麗人参はその加工法によって呼び名が変わります。「水参」「白参」「紅参」というのがその加工法によって変わる分類名で、すべて同じ高麗人参の異なる状態を表すものです。

○ 水参(すいじん・すいさん)

畑から掘り起こしたままの状態を表し、生人参とも言います。水分量を80%近く含んでいるため腐りやすく、長く持ちません。生野菜としてこのまま料理に使用されることが多いようですが、根の部分は苦味が強いので水に浸けてからお茶にして飲むのが一般的。それ以外の部分はすりおろして生で食べたり、参鶏湯のように煮込んで食べたりします。

○ 白参(はくじん・はくさん)

水分量が12%以下になるまで水参を熱または熱風で乾燥させたものを白参と言います。乾かす際に皮をはがして見た目を美しくすることが多く、皮周辺に多く含まれるジンセノサイドが減ってしまうため健康成分は少なめになると言われています。白参は4年根で作られることが多く、水参よりも保存できる期間が長くなります。

○ 紅参(こうじん・べにさん)

水参の皮をはがさずに蒸気で蒸した後に自然乾燥させて水分量が14%以下になるよう加工したものを紅参と言います。赤みがかった色味になるまで乾燥させる工程でジンセノサイドが激増し、水参や白参よりも健康成分が豊富になって長期保存も可能になるため、紅参が最も高品質な上級品とされています。

高麗人参サプリに「6年根の紅参」が選ばれる理由

そもそも高麗人参とはどんなもの?朝鮮人参との違いや栽培方法を解説」でも少しご紹介しましたが、栽培に6年を費やした高麗人参の根の部分を「6年根」と言います。高麗人参は1年に1葉ずつ増えていくという成長のしかたからもわかるように、ゆっくりと育ちながら土壌の栄養素をしっかりと根に吸い上げていきます。成長すればするほど含有する栄養素の量が増えていくのですが、6年を過ぎると抵抗力が弱くなるため病気になったり虫食いにあったりして状態が劣化していきます。そのため、有効成分であるサポニンが最高潮になった状態がこの6年根なのです。

さらに上項でご説明した通り、サポニンの1つであるジンセノサイドが最も豊富な状態になるのが紅参です。高麗人参サプリの原材料として「6年根の紅参」が使われているものが最も高品質とされるのはこういうわけです。また、高麗人参を6年間健康な状態で育てるには手間とコストがかかり、紅参も加工法の中では最も手間のかかる方法であるため、「6年根の紅参」は希少価値が高いと言われています。

高麗人参を愛飲していた偉人

高麗人参が人々に親しまれてきた歴史は長く、愛飲していた人には歴史上の偉人たちも多く含まれます。

始皇帝

紀元前3年頃、秦の始皇帝は不老不死の妙薬を探すよう、医術や錬金術を行う方士である徐福と呼ばれる人物に命じ、その徐福が最終的に始皇帝のもとに持ち帰ったのが高麗人参であったという伝説があります。ただ、徐福が戻った頃には始皇帝は亡くなっていたという説と、始皇帝が高麗人参を愛飲していたという説があります。

徳川家康

日本に初めて高麗人参が入って来たのは朝鮮の使節団からの贈答品であったと言われていますが、江戸幕府を開いた徳川家康も定期的に贈られていた高麗人参の効能を大変高く評価し、自身の健康管理のために肌身離さず持ち歩いては、煎じて服用していたと言われています。

徳川吉宗

江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗は幕府の財政を立て直して「江戸幕府中興の祖」と呼ばれるほど歴代将軍の中でも評価の高い人物ですが、吉宗は李氏朝鮮から高麗人参を輸入し、日本各地に栽培を広めたことでも知られています。家康の代から計画されていた高麗人参の栽培計画がここでやっと実現化したというわけですね。

楊貴妃

世界三大美女と言われる唐の皇妃である楊貴妃も高麗人参を好んだと言われていますが、楊貴妃は根の部分ではなく、サポニンを始めビタミン類やアミノ酸を多く含み、美白効果や肌への美容効果の高い蕾の部分を摂取してその美貌を保っていたという説があります。

エリザベスI世

イギリスの女王であったエリザベスI世も、医学が発達していなかった時代に疲労回復や滋養強壮の手段として高麗人参を愛飲していたと言われています。当時から国賓の貢ぎ物として世界中に広く出回っていたようです。

ヨハネ・パウロII世

ローマ法王のヨハネ・パウロII世が高麗人参を絶賛し、それによって高麗人参を手に入れようと探し求める人が増加したというのは有名な話です。任期中に訪れた韓国でも高麗人参への深い関心と愛情を示したと言われています。